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DIARY

一橋大学ラグビー部日記 2017/11

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10159

投稿日時:2017/11/25(土) 06:35

ホテルの目の前の部屋にいる宮川からつい先程、部日記を回してもらった岩淵です。そういえば、NZ留学に行った時も隣の部屋で過ごしてましたね。シャワーを浴びてるといつもノリノリで洋楽を歌ってた宮川でした。こんな宮川をみんな知らないだろうな。







「10159」。これは僕が一橋を受験した時の受験番号でした。その時、勝手に「イゴクルシム」と解釈して、受験は合格できるけど、苦しい大学生活が待ってるんだろうなと思っていました。対抗戦最終戦の前夜に部日記を書くにあたって、先輩方や同期のラスト部日記を読んでいると皆がみんな、辛いこと、しんどいこと、悔しいことを経験してきたのだなと当たり前のことだけど、そんなことを感じています。ラグビー部での過去の部日記を読み、一橋大学ラグビー部での日々を思い返し、廣大が作成してくれたモチベーションビデオを見ると、かつてない程の胸の鼓動が。。。果たして寝つけるのでしょうか?笑。でも今の想いを大事にしたいから、凄くダラダラな文章になるでしょうけど、最後の部日記を綴らせてもらいます。







目標をどうするか?新体制での会議でぶつかった一番の議題であった。昨今の一橋ラグビー部を支えてきた軍団が抜け、果たして俺らは勝てるのか?難しいシーズンになるのは目に見えていた。リアルな数字の5勝か、やはり入替戦出場か。心では入替戦に行きたいが、簡単ではない。幹部内でもこの議題を1番長く問うた気がする。僕がバーンと「目標はこうします!」と言えばカッコイイが、どうも頭でっかちになりたくなかった。でも、やはり、同期皆が1年生のころに経験した入替戦出場をもう一度掴みたいという気持ちを持っていたことに変わりはなかった。だが、その目標を達成しようと走ってきたこの1年間は「イゴクルシム」コースの中で、正直最も厳しかった。

主将をするにあたって、大切にしてきたことがある。それはこの1年間は少なくとも対抗戦Bグループの中で自身の部を想い、強化するために為すべきことを考え、実行するということだ。もちろん、当たり前のことだが、一橋ラグビー部のことを少しでも考えずに過ごした一日は一度もない。「うちのチームは他のチームより圧倒的にキャプテンの人間性がチームの結果に反映される」と近藤さんから御言葉を頂いた日から、決してスーパーエースでもなく、セットプレーで身体を張ることもできない自分が出来るのは、部を想い考え実行することであった。そして、一橋ラグビー部に「勝利の文化」を根付かせたいと。

だが、その姿勢はあっても、事はなかなか上手く進まなかった。FWもBKも怪我人が絶えず、強行スケジュールを過ごした春シーズン。かつてないほどに、対外相手の練習も組んだし、考えれば無茶をさせてしまった。夏も怪我人を多く出してしまい、国立合宿最終日にはグラウンドに立つ者の少なさに驚いた。夏をなんとか乗り越え、気づけば対抗戦初戦が目の前に迫っていた。これまで行ってきたことが正しかったのかを証明されてしまう。自信はあっても怖さを感じていた。この1年を思い返せばきりがない。

ゴールラインのみえない「イゴクルシム」コースではあるが、常に一緒に走ってくれた同期、先輩、後輩がそばにいた。

走ったといえば、今年もゴリは走ってた。でもその走る姿は日に日にたくましくなった。そんなゴリが大好きな吉池も今年で本当に頼もしい存在になった。フロントに挑戦してもらいたかった葛にとっては厳しいシーズンだったかもしれない。でも頑張れ、お前はもっと出来るはず。対抗戦のアップで1番声を出してくれたね。戸田の練習中のレスポンスは個人的に好きでした。授業がすぐあるのに少しでも練習に参加してくれる名倉の「キャプテン授業があるので」も好きだった。辞めないでくれてありがとう。練習試合でも悔し泣きをする成田のひたむきさも好きです。松尾はいつでも試合でガッツを見せてくれた。堺も顔面をぶつけてでも相手を止めてた。また鼻を折った菅野の周りにはいつも笑顔があった。つい先日、鼻を折った菅原のポテンシャルには驚かされる。荻原も負けてないけどね。村上とは一緒に対抗戦出たかったな。早船にも出てもらいたかった。しんどい日々の中でも、チームのことを考えてくれた。ありがとう。同じ浦和の大谷も、勇気あるプレーが見られるようになった。倉嶋は今年もラグビー部で1番練習してた。今や浦和のボスのガクトシはラグビー部には本当に欠かせない存在に。そのブラザーの倉光は少しタフになった。浦島は通訳してる姿がかっこよかった。カッコいいKCは、おバカな一面があるけど、熱いプレーをしてくれる。こいつうまそうだなと思った上杉は思った以上に凄かった。勇気は対抗戦で活躍したい気持ちを1番感じた選手だった。門屋はいつだってチームを盛り上げてくれた。合宿で怒ってごめんね。山本のタックルには何度も痺れさせられた。大池は、アグレッシブさがついて今年もまた大きく成長した。伊東の成長度合いにも驚いた。やっぱラグビー部に勧誘した甲斐があった。勧誘してないのにラグビーを始めた宮田はスピードだけじゃなくてよく考えてラグビーしてる。仲西の分析力は我がラグビー部の宝です。平手は真面目にコツコツとやるタイプだって知ってるよ。その鏡であるガッキーは文字通り身を削ってプレーしてくれた。ゆうやも僕らが知らないところで頑張ってた。カッコいいよ。堀内はよく耐えてくれた。お前なしでは今年の試合は回らなかったよ。ありがとう。しんちゃんは有言実行で先輩と後輩の橋渡しをしてくれた。乃木坂が大好きになった功刀が怪我したのは残念だった。でも、Bのことを運営してくれてありがとう。怪我を乗り越えた小酒井もすっかりラグビープレーヤーになってくれた。寺澤にはラグビーが好きな気持ちを改めて教えてもらった。増谷は今日も新しいヘッドキャップを嬉しそうにつけてたから、やっぱりラグビー好きみたい。我が直属の後輩の熊谷が入ってくれたのも嬉しかった。頑張れよ。中山も実は大きな怪我をせずにここまでやってくれてる。怪我のことをやたら気にしている宮瀬だけど、お前のタックルは対抗戦No. 1。高田の練習中や試合での指摘には本当に助けられた。そしてキックという新たな武器も加えてくれた。秋山の部内での影響力は本当に大きくなった。頼もしい奴がグラウンドの後ろに居てくれる。一橋のエース雄吉は勝利への執念を教えてくれた。PRIDEを持った5年生。わがままばっかですいません。居心地の悪い思いをさせてしまったこともあったと思います。でも、皆さんが居てくださり本当に助けられました。ありがとうございました。マネージャーも色々注文つけて申し訳なかった。きっとやりにくい主将だったと思う。でも、マネージャー無しでは我が部が回らないことを痛感した1年だった。凄く感謝してます。

きっと激動の1年を過ごしただろう本田は必要不可欠な存在だった。ラグビーやって良かったね。スクラムやってLOもサイン出してるキムラリこそ一橋ラグビー部を象徴する選手。廣大は僕に足りない、知性と役割を果たしてくれた。ありがとう。宮川は強き良きパートナーだった。玉代勢という贅沢な副将がいて助かった。







このコースを走り終える瞬間が迫ってきている。振り返ることは一瞬でも、その一瞬一瞬は確かに濃かった。一緒にいたのはランナーだけでなかった。

多くのサポーターがいたからこそ、今日まで走ってこれた。







両親。内弁慶で連絡も少ない息子に自由に学生生活を送る環境を作ってくれてありがとう。

兄。なんだかんだラグビーを始めたのもあなたの影響でした。時に厳しいことも言われたけど、応援してくれてるのが嬉しかった。

近藤さん、善太さん、泉さん。至らぬ点が多い主将でしたが、多くを学ばさせていただきました。

倫子さん、植木さん。困ったときに助けてくださりました。ありがとうございました。

松岡さん、巻淵さん、石津さん。その献身性には頭が上がりません。

竹内さん。勇気と強さを与えていただきました。

近所のラグビーがうまいおじさん達、上田さん。確かな成長の手助けをありがとうございました。

近所のラグビーが好きなおじさん。ラグビー部をあらゆる方面で成長させていただきました。

やおぎん。もうラグビー部の食堂兼お家です。

そして、OB・OGの皆様、保護者の皆様。多大なるサポート誠にありがとうございました。







本当はもっと洗練されて、知的な文章を書きたかった。でも、カッコよくなりきれないのもどこか自分らしいかもしれない。明日は対抗戦の最終戦。やっぱり勝ちたい。





「159(イコウクマガヤへ)」





上手くないか!笑





2017年度 主将 岩淵 智史








岩淵組FWリーダーの宮川遼太です

投稿日時:2017/11/24(金) 21:57

たまよせからご紹介に預かりました宮川です。過去2回部日記を書かせていただきましたが、1回目は先輩MGに、2回目は某大学ラグビー部の友人に、いずれも文章がまじめすぎるとの指摘を受けました。なので今回もつまらない文章になると思いますが、ご容赦ください。



 



そんなことはさておき、たまよせ君も言っていた通り、2014年3月11日の合格発表の日に初めて彼に会い、こんな奴が同期になるのかと感慨深く思ったのをよく覚えています。その日が、一橋大学ラグビー部の入部を決意した日でもあり、それから濃密な日々を過ごしてきました。



 



レギュラーの座を勝ち取りたかったけど、結果的にリザーブ止まりだった1年目。その悔しさを晴らすべく臨んだNZ留学。赤黒のジャージを着ることの重みを知った2年目。この代なら絶対に入れ替え戦に行けると信じるも、目的を果たすことができず、勝負の厳しさを知った3年目。そして副将としてチーム運営に携わった今年。



 



思い返せば、1~3年目までは自分がいかにスタメンを勝ち取るか、いかに自分の強みを見つけられるか、自分のことで手一杯でした。他人の良いプレーがあっても、素直に喜ぶというより、悔しさを覚えるようなプレーヤーでした。その負けん気は間違いなく僕を成長させてくれましたし、それを後悔していません。特に1年生の時には、バックローの先輩方1人1人を分析し、自分がどのような形でポジション争いに食い込むかを日々考えてました。その過程や結果導き出した答えは今でも生きています。プレーヤーとして成長しなければいけないという危機感がなければ、自分はここまで来れなかったでしょう。



 



しかし、こうした考えは今年大きく変えさせられました。今年からFWリーダーとしてチーム運営に携わるなかで、まずプレーでチームを引っ張ろうと思い、シーズンに臨みました。しかし思うようなパフォーマンスもでず、挙げ句の果てには怪我で離脱してしまう時期もありました。情けない限りですね。その一方で、同期・後輩たちのプレーに勇気付けられ、みんなのプレーの成長ぶりに喜ぶ自分もいました。自分が出ていない中でひたすら後輩がタックルしてた國學院戦は忘れられません。この試合に限らず、様々な試合でみんなは身体を張り、凄まじい成長ぶりを見せつけてくれました。僕はそうしたみんなの成長ぶりを誇りに思います。過去の自分であったら考えられないことですが、こうした変化もありました。



 



ざっとこれまでを振り返ったところで、ラグビー部で学んだレッスンを1つご紹介します。



 



ラグビーをするうえで、1番大切なものは何でしょうか。ハンドリングでしょうか、コンタクトでしょうか、ランでしょうか、はたまたセットプレーでしょうか。



 



あくまで個人的な見解ですが、ラグビーで1番大切なものは、プレーではなく、メンタル、気持ちだの部分だと改めて思います。そのメンタルも、「トイメンをぶっ倒す」という類いのものでなく、「仲間のために頑張る」という類のものです。みんなのために身体をはる。グラウンドに立てない人達のためにも身体を張る。ラグビーに関するフレーズとして有名な ’’one for all, all for one ‘’の精神です。口で言うのは簡単ですが、いざそれを体現しようとするとなかなか難しい。中学、高校までの自分はそれを理解できずにいました。



 



しかし、大学に入って、特に赤黒のジャージを着させていただくようになってから、その精神を理解できるようになりました。2年生の時に、当時のFWリーダーであったしょうまさんの代わりにプレーしてたので、しょうまさんのためにプレーしようと思っていたことがキッカケでした。他人のためにという思いで試合に臨むと、不思議なことに、自分のプレーが、100%から120%になるのです。福山組の明学戦然り、田口組の立教戦然り、岩淵組の明学戦然り、他人のためにプレーしようと強く思った試合ほど、自分のプレーが研ぎ澄まされていくのを感じました。そうして初めてこの精神を深く理解できました。自分のためだけでなく、他人のためにプレーすることの尊さ、重要性を身をもって知りました。後から気づいたのですが、それを理解させるための、お互いをリスペクトし合う文化が一橋にはあります。そしてそれを作り上げてきたOB、OGの皆様には敬服します。



 



書いてて自分でも訳が分からなくなってきましたが、要するに、僕は自分のためではなく、自分を支えてくださった方々や仲間にひたすらに感謝して、その感謝の念を背負って明日の武蔵戦に臨まなければいけないということです。そして、ここで皆さんに感謝の言葉を述べさせていただきます。



 



まず家族。ラグビーを10年間自由にやらせてくれてありがとう。そこまで大きな怪我をすることなくここまで来れたのも、家族のサポートのおかげです。これからもよろしく!OB、OGの皆さま、部活ができる環境を整えてくださり、そして試合では多大なるご声援をいただき、ありがとうございます。トレーナーの皆さま、いつも部員のケアをしてくださり、感謝しております。近所のラグビーが上手いお兄さん方、グラウンドの内外で大変お世話になりました。竹内さん。竹内さんの筋トレのおかげで、17kg体重が増えました。プレーの幅が広がり、感謝してます。近藤さん、善太さん、泉さん。至らぬ副将だったと思いますが、ご指導いただき、勉強させていただきました。ありがとうございます。稲野さん、ノリさん、田口さんの代のFWの先輩方。先輩方のプレーの高さにいい意味でショックを受けたことが僕の大学ラグビーの原点です。五年生の先輩方、こんな自分達に力を貸してくださり、ありがとうございました。後輩のみんな、頼りない副将だったと思いますが、ついてきてくれてありがとう。みんなの身体を張る姿には勇気付けられました。高校時代の先輩の言葉ですが、FWはファミリーなので、特に後輩FWは団結して強くなっていってください。そして同期。とにかくありがとう。これに尽きます。



 



やはり、まとまらない文章となってしまいましたね。感傷に浸りすぎると明日のプレーに影響が出るかも分からないので、そろそろ武蔵戦に集中し、ここでバトンタッチさせていただきます。最後は、3週間に渡るNZ留学を共に乗り越えた戦友でもある、頼れる主将岩淵、お願いします。君のもとで副将を任され、幸せな1年間を過ごすことができました。ありがとう。



 

深く、重く、ちょっぴり痛く、いつまでもまとわりつく。

投稿日時:2017/11/23(木) 19:55

きむらりから2度目の部日記を回ってきました玉代勢です。そう言われてみるとそうだったなと思い出してきました。1年生の頃がつい最近のようで、でも一方ですごく懐かしいです。
 
色々と思い出したついでに、自分のこれまでのことも思い出しながら、少し書いてみようと思います。どうでもいいようなことかもしれませんが、最後の部日記ということでお許しください。
 

今思えばこれまでの自分は中学生くらいの頃から決まっていたのかもしれません。漠然ではありますが、中学入学と同時に母校の高校に入りたいなと思うようになっていて、さらに大学では経済学を学びたいと思っていました。実際それは実現されていて、少年でありながら自分のことが少しはわかっていたのかなと驚いています。
ただその中で全く想像もしなかったのが高校でラグビー始めたことです。以前、部日記にも書かせてもらったような気もしますが、私は典型的なラグビー詐欺の被害者です。(まあ次の年から詐欺する側になっているのですが…)
結局高校生活の大半は部活動が占めていて、もう少し青春をエンジョイした方が良かったのかなと思うくらいです。
そんな自分の青春であった部活を引退するとともに大学受験が始まり、正直もう自分のレベルではラグビーはできないかなと諦めていました。しかし運がいいことに一橋に合格し(裏口ではないですよ)、嬉しさのあまりその場で赤いウィンブレを着ている先輩を見つけ、ブースに行きました。でもその時の心持としては、推薦のない国立大学だからそんなにレベルも高くなく、適度にラグビーをして楽しめるだろうと完全になめ腐っていました。
本当にあの頃の自分を叱ってやりたいです。お前の入ろうとしているラグビー部はそんなに甘くないぞと。実際入部して気づくのですが、周りは体はデカいし、パスはうまい。自分の想像とは全く異なりました。
ただ同時に絶対に入部しろと言うでしょう。同期の数は多いし、先輩には面白い人ばかり。ラグビーをしている以外の時間も本当に楽しかったです。そしてそれは先輩が抜けていった後も同じで、またいい意味でアホな後輩が毎年入ってきてくれて、1年生から今に至るまで楽しい時間がずっと続いています。
 
 
先ほど中学生ぐらいから決まっていたと言いましたが、やっぱり前言撤回で。そのころの私にはこれほど良い環境に恵まれ、多くの人に助けられているとは想像もつかなかったと思います。
監督陣の方々、トレーナーの皆さん、近所のラグビーが上手いおじさん、阿久津さん、竹内さん。多くの大人に支えてもらいました。ありがとうございます。
現役の時はもちろん、引退しても練習や試合に足を運んでくださるOBの方々、いつもご指導いただきありがとうございます。
学年ごとに個性がある後輩、グラウンド外では本当にアホなやつばかりだなと思います。ただラグビーになるとみんな真剣で、本当に入ってきてくれてよかったとつくづく感じます。ありがとう。
なにより同期のみんな。本当に頼れる人ばかりです。高校では途中でやめてしまう人が多かったのですが、誰も欠けることなくこれまでやってこられたことは素直にうれしいし、誇りに思います。ありがとう、これからもよろしくね。
そして両親。これまですごくサポートしてもらったし、多くの迷惑や心配もかけました。怪我をしたときは治療費を出してもらい、試合の時はアウェーでも見に来てくれました。普段してもらっていることが当たり前になっているけど、それは本当に恵まれていて、ちゃんと感謝しないといけないなと思う一方で、面と向かって言葉にできていないです。こんな文章では足りないと思うけど、いつもありがとう。
 
あと少しで引退ですが、引退後も結局試合を見に行ったり、後輩の練習に行ったり、なんだかんだラグビーからは離れられないのかなと思うと不思議ですね。やっているとこんなに痛く、つらいスポーツはもう勘弁と思うのに。

まあ終わった後のことは考えず、まずは次戦のことだけを考えます。
もう一つ、最近になって思うことで、スタンドオフって花形ではないということです。実際対抗戦では自分でほとんどトライはしていないし、すごく周りに助けてもらっています。正直トライをしたい気持ちもないわけではないですが、仲間の活躍、チームの勝利に貢献できていると信じて、負けないゲームメイクを徹底していきたいです。
 
 
だらだらと長くなってしまい申し訳ないです。次は合格発表の日に、同期の中で初めて会って、「よろしく!」と声をかけてくれた宮川で。体は大きくなりすぎて全然違うけど、純粋な目はずっと変わらないね。
 

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投稿日時:2017/11/22(水) 01:12


山口君、紹介ありがとう。ほんと長い時間を共に過ごした気がします。こちらこそよろしゅうよろしゅう。
貫禄というものは自然と出てしまうものですよね。最近、自分より年上だと思ってた人が年下だったり、芸能人やアスリートも自分より年下が増えてきて複雑な心境です。門屋君、宮田君、成田君、気をつけてください。



さて、4年間を振り返ると沢山の出来事があったはずなのに非常にあっという間でした。

ネガティブな話を先に吐き出してしまいます。嫌な人はサァーッと飛ばしてください。




いくら振り返っても自分の良かったプレーというものは思い出せず、雄吉や高橋も言っていましたが悔しかったプレーの方が思い出されます。2年生のときの最終戦である明学戦で、最後ボールを絡まれ奪われ外に蹴り出され試合が終了したときが最たるものでした。ホイッスルの後、僕からボールを奪った相手選手に「ナイスプレー」と言われたことは今でも忘れません。死ぬほど悔しかったですし、福山組のラストプレーを自分の手で終わらせてしまったことは非常にトラウマでした。怪我に苦しみ復帰したものの出場機会が減ってしまった3年生の最終戦、ピッチで田口組の4年生との最後のラグビーをできず皆が最終戦の勝利に嬉し涙を流す中、一人悔しさと自分の不甲斐なさに涙を流し続けました。4年生、先日の立教戦のスクラムトライ。屈辱的でした。

思い出せば思い出すほど出てきます。



自分はどんな4年生だったのでしょうか。本来あるべき最上級生の姿であるような、プレーで周りを引っ張ることも声で周りを鼓舞することもあまり上手にできなかったような気がします。僕の憧れの4年生像は稲野さんや中畑さんでした。後輩に親身になりながら話してくださり、アドバイスをしてくださり、練習、試合ではとことん身体を張る。自分の4年生としての姿は理想とは離れていたように思います。今年からHOに転向し、スクラムに関しては日々学習でした。わからないことだらけで吉池や高橋に確認し迷惑をかけ、本来ならスクラムの要でなくてはならないのにチームを引っ張りきれない自分に嫌気がしました。自分のことでいっぱいいっぱいになっているとき何度も4年生失格だと思いました。チームにも後輩にも迷惑を多くかけたように感じています、ごめん。


でもこんなにも沢山悔しい想い、不甲斐ない想いをしたのにラグビーを辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。本当に本当にラグビーが好きです。
「体育会とかラグビーとかしんどくない?よくやるね。」
この4年間でよく言われました。部員の多くはこんな経験があるかもしれない。
でも僕にとっては大好きなことを毎日やることに苦を感じることはありませんでした。本音です。本当に毎日が楽しかった。この先10年、20年…と経ってもこの4年間ほど幸せな時間はないのではないかと感じています。それほどまでに1つのことに本気で一生懸命になれたことを幸せに、誇りに思います。そしてそれがラグビーであったことに。

思えば高校入学時、完全なノリで始めたラグビーでした。中学まで続けていたサッカーが下手で、何か新しいスポーツを始めたいなぁと思いつつも保守的な自分はなかなか動けずにいましたが、気がついたらラグビー部への入部を決意していました。入部した理由を特に思い出せないということは決定打はなかったのでしょう。強いて言えば漫画「テニスの王子様」に憧れてテニス部の見学にいったらレベル高すぎて断念し消去法的に入部した気もします。ですがこの決断は僕の人生で実は最も大きなターニングポイントであったように感じています。

ラグビーを通じて出会った人たちは僕にとっての大きな財産です。本当に人との出会いに恵まれました。特に大学に入ってからは何度も思いました。そして多くの人に支えられてきました。

月並みですがこの場で感謝を伝えさせていただきます。
遠い場所でも試合の度に足を運んでくださり、僕たち現役に発破をかけてくださるOB、OGの方々、いつも試合を盛り上げてくださったご父兄の方々加えて毎年クリスマスパーティーを開いてくださった山口家の皆様、心も身体も強くして下さった竹内さん、むち打った身体に栄養を与えてくださり応援にも常に駆けつけてくださった阿久津さん、本当ならあり得ないほどに親身になってチーム運営に協力してくださった近所のラグビーの上手いお兄さん方、常に一橋ラグビー部にエッセンスを加えてくださった上田さん、多くの時間を割いてチームを支えてくださったトレーナーの松岡さん、倫子さん、巻淵さん、植木さん、石津さん。近藤さん、善太さん、泉さんにはチームの成長の為にお忙しい中毎週毎週ご指導していただきました、人として本当に尊敬できる方々です。そして最後に、遠いところから試合も見に来てくれて常に僕の身体を心配してくれたお母さん。
皆さん4年間支えてくださり本当にありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。




終わりの流れですけどもうちょっと。もういいやって人は終わってください。




この最後の部日記、実は1年生として初めて書いた時ぶりです。1年生として初めて書いた部日記で『この4年間で自分がこれだけは誰にも負けない!というような部分を絶対作りたいと考えています。』と記しました。ですが結局誇ることのできるプレーが思い浮かびません。スクラムでは吉池に敵いません。ラインアウトのセンスは伊東に敵いません。DFの出足は大池に、タックルは宮瀬に敵いません。ボールキャリーは上杉に敵いません。4年間継続してきた筋トレのベンチプレスの数値はケイシーに追いつかれました。ここには書き切れませんが、プレイヤー皆が優れたスキルを持っています。偉そうだけど、後輩の成長ってすごい嬉しいです。その成長がチームに対しても、僕に対しても大きな刺激になりました。そして今年はそんな後輩たちに特に助けられました。ありがとう。もうちょい力を貸してください。


本当にあと1ヶ月でラグビーに打ち込める生活が終わってしまうのは悲しいです。Jsports見ながら「こんなプレーしてみたい」と想いを馳せるのもあとわずかだと思うと辛いです。
学生スポーツの定めではありますが、もっとプレーしたいって心から思います。
今んとこラグビー人生に大きな悔いはありません。このまま引退できるように残りわずかですが更に更に全力で取り組みます。頑張りましょう。今週末勝って、入替戦への切符を手に入れよう!


誇れる同期への言葉とかないけど、そこは言わずとも繋がっている仲だと思うので。
このままだと僕の卒論よりも終着点とまとまりがない文章で、卒論よりも長い文章になるのでそろそろ終わります。長々と申し訳ないです。


次は玉代勢くんです。紹介は割愛します。そういえば初めての部日記を回したのも彼へだったなぁ。

 

起承転結を意識しました2

投稿日時:2017/11/20(月) 23:59

 みなさんこんばんは。最近ハム()を炒めているゴリからバトンを受け取りました、4年SHの山口です。最近あったことといえば塾のチラシに載りました。あとはハーフファミリーが肥大化してきました。片野田さんと映画を見に行く約束をしました。ぶっちーが最後の一か月はマンスリーマンションでみんなで暮らそうとプロポーズしてきました。これで5回目の更新ですね。光栄なことです。間延びしてしまうと伝えたいことが不鮮明になるので、ここもやはり起承転結を意識していきたいと思います。今までのみんなとは大分毛色の違う文章になりそうです。興味のない方は下のほうに少しラグビー部のことについて書くのでそこだけ読んでいただいて構いません。



 思い返せば僕のラグビー人生も起承転結でまとめられそうです。

起 パリジャパのおじさんたちによって楕円球の良さを語られる。

承 国立高校で野球ではなくラグビーを始める。

転 高3の春で辞めたがる。

結 ちゃっかり大学でしっかり4年間やっちゃってる。

 パリジャパはパリジャパニーズRFCのことで、在仏の赴任者を中心にラグビーを楽しむ人たちの集まりでした。なぜか40にもなってラグビーを始めた父。奇想天外、奇々怪々でした。(起)





 皆さんにとって父親とはどんな人物でしょうか。僕にとっては、圧倒的で最強完全無敵な絶対正義でした。畏敬の念とはこのことで、尊敬するあまり畏れる人物でした。ラグビーを始めたきっかけは、どうやらここにありそうです。僕は小中学生時代をフランスで過ごしました。言葉の通じない世界で反抗期もくそもありませんでした。家出なんかしたら死にますもん。だから割とまじめにここまで来た気がします。ゲーセンもないし立ち読みもしたことないです。お小遣いは5ユーロでした(500円☻)。

 反抗期は子供と大人が向き合う大切な時期だと思います。ただ僕の場合、前述の環境に加え必死に反抗する兄が歯が立たなかった(兄貴はきっとそこで何かを得た)のを見て反抗心が心の底の方に沈みました。だって敵いませんもん。だから、23年間父と正面から向き合うことはほぼなかったように思います。ケンカしないように、怒られないように、そんなしょうもないことを無意識に気にしていた気がします。

 みんなもきっと就活で聞かれます。「何でラグビーはじめたの?」僕は、「父とのつながりを持つため」そんな風に答えた気がします。怖くてなかなか本音で語り合えない、本気でぶつかり合ったこともない、共通の趣味もない。だから僕にとっては何となく距離のある人でした。父との距離を縮めたかった。人生の節目節目で「挑戦してみなさい」「より高いレベルの仲間と磨きあいなさい」「目の前の問題から逃げるんじゃない」そんなワードが出てくる父の気持ちや世界観が、40にもなってろくにできやしないラグビーを始めたその背中に詰まってるんじゃないかと、勝手にこじつけて、痛いのも苦しいのも嫌いなこんな小さい僕がラグビーをやってみたらなんか掴めるかもしれない、父の気持ちが分かるかもしれない、わかった気になっていた父の言葉たちの本当の姿が分かるかもしれない。そして何より、父と本音でぶつかるために本気でやった「何か」を心に宿したいと、そう思ったんだと思います。

 まだ語らいの時は来ていませんが、直来るでしょう。なんだか仲が悪いみたいな感じが出てしまいましたが、決してそうではなく、僕が父との距離感を掴めていないんですね。もしかしたら反抗心がうすっっぺらく伸びて今日まで微弱な反抗が続いてるのかもしれませんね。ラグビー初めてよかったなあと、トンガ代表対ジャパンの試合をいびきかきながら見てる親父を見て思います。最初は(今もか)怪我の心配ばかりしていた母もほぼ毎試合見に来てくれて、夏目さんとツーショット撮ったりしてくれちゃってます。ノットストレートを「ノスト」ではなく「ノットス」とどや顔で言ってくる母も大好きです。いつも応援ありがとう。成長したところ見せられるといいなぁ。(承ここまで)

 とはいえ、ラグビーは何も両親のために始めたわけではなく、もちろん競技自体が好きになったし仲間の大切さや縁に惹かれて7年間やってこれたのも事実です。同期の何人かも辞めようと思ったことがあるといっていましたが、僕はそれが高3の春でした。そんな僕を引き留めたあるお手紙をくれたのは相変わらずファイヤーファイヤー言ってる君でしたね。ラグビーを通して出会った仲間たちは、一生付き合える友だと思っています。そんな友を持てたことを誇らしく思うし、うれしく思います。『青春に引退なし――。』(転は短く)

 大学ラグビー。特にこの一年は本当に充実していました。とはいえ玉代勢には頼りっきりでした。助けてあげられたのはゼミの発表くらいでしょうか。力になり切れず、申し訳ない。体格も全然大きくできませんでした、ごめんなさい。この流れで書くとものすごい言い訳になってしまうけど最後だから言っちゃいます。ラグビーが体格だけでやるスポーツならとっくにやめてました。みなと同じようなまとめになりますが、そうはいっても感謝の気持ちを書かずして終わるわけにはいきません。ただしすでに字数がすごいので恐縮ですが手短に。近藤さん、善田さん、泉さん、コーチの方々、お休みの日もグラウンドまで来ていただきありがとう御座いました。怪我がちな僕をみてくださったトレーナーの方々、ゴッドハンド町田先生。この環境を築き引き継いでくださった諸先輩方。両親。本当にありがとうございました。どういう形になるかはわかりませんが、必ずや還元していこうと心に決めています。(以上、結び)

 最後に、ハーフファミリーのみんなへ。気難しいストイックな僕によくついてきてくれました。特に倉嶋には迷惑をかけました。怪我の多い先輩に代わっていきなりSHでA戦に出されたかと思えば、人が足りないからとCTBで出させられたり。ハーフという難しいポジションを転向二年目でよくここまで来たなと日々感心しています。僕の強みは何ですかと迷うことはないと思います。やりたいと思ったことをやる、それが強みです。もう来年からは立派なハーフなんだから自信もって。後輩たちは頼んだよ。上下関係がしっかりしていることで有名だったハーフファミリーも君の参入で大分変化したような気が。熊谷もウェイトはしっかりやらないと僕みたいに痛い目見るよ!「でしょうな」

 長くなってしまいました。これで終わると思うとだらだら付け足したくなります。今のところ最大の後悔は妹が部活で頑張る姿をもう少し見ておきたかったこと、妹の成人式の前撮りに僕だけ写れなかったこと、一部同期に妹の名前がばれてやたら呼び捨てしてきて馴れ馴れしいことです。嬉しかったことは国高の後輩が入ってきて活躍していることです。

 ではそろそろネクストバッターに回しましょう。君とはなんだか4年以上の付き合いだったんじゃないかと思うくらい何かにつけ一緒にいた気がします。初めて会った時に落ち着いた大人の雰囲気あるなこの人って思ったら本当に大人の人でした。年中クロックスでくそ寒い中半そで短パンで行き来する木村君。これからもどうぞよろしく。
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