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DIARY

一橋大学ラグビー部日記 2019/10

2つの得たもの

投稿日時:2019/10/29(火) 10:57

 

我が部ピカイチのスタイルを誇りますはるからバトンを受け取った寺本真依です。

おぎとはる、KODA委員と響きが懐かしくて。はる、改めて入ってくれてありがとう、ここまで一緒にやってこれて、今でははるがいなかった想定なんてできません。

 

「私がこれからもおにぎり握ってあげる」。私の場合、そう同クラの倉光くんに告げたのが入部時の言葉だったと思います。言った当時は自分の言葉にわくわくしてしまうくらい、「誰かのために尽くす」経験が新しくて、未知でした。

そんなりんちゃんといっしょに悩みぬいたラグビー部。あの時の決断に悔いは全くなく、むしろその決断の正しさへの確信が強まっていった4年間です。

私の最後の部日記は、ラグビー部が与えてくれたふたつのもの、人との出会いと、ラグビー部によって自分について考えさせられたことについて書いてみます。

 

一橋ラグビー部に入って、ラグビーに携わる人は恐ろしくいい人ばかりでした。恐らくラグビーのスポーツとしての特性もあるのでしょうが、人のよさと、ラグビー部の情報伝達の速さにはとにかく驚かされました。

練習も試合も、コンパさえも、あの人がいない、となるとそれだけでチームの雰囲気が違って何か足りなくて、どれだけ一人一人の個性が全体にとって大事なのか、感じました。

ラグビー部の人たちと出会えたことが私の財産だ、と1年生の時に気づきました。

ラグビー部を続けてこれたのは、ラグビー部の人たちといたいと思ったから。

このメンバーと時間を共にしたい、このメンバーで勝てたら、そのうれしさはひとしおだと思ったから。

 

というのも、マネージャーの業務自体だけだったら、おそらく続けられたかわかりません。

わたしはかなりの不器用なんです。部でも時に自分でもびっくりすることをしでかすので、もはや才能だと感じます。

器用さがマネージャーの仕事に響くことはたくさんあって。

でも補えることはあると信じ、やれることを試しました。本2030冊を借りて骨、栄養、運動について雑学入手、動画を見たりトレーナーさんやプレーヤーにアドバイスを聞く、公園を走りながら運動するプレーヤーの気持ちを想像してみる

それでも先天的に器用な人にはかなわない部分は多くて

じゃあ自分は何ができるか?悩んで悩んで、わかりませんでした。

特に23年生の時スキルがないなりに何度も考え、その結果が、自分でなくてもいいのでは、という思いでした。そのころ部活とほかのことと、一人で抱え込んで、誰にも本当のつらさを言えなかった時が一番きつかったです。アルバイト中に涙が止まらなくなったりしたときに、あ~わたし今限界なんだ、とやっと気づきました。

 

あって当たり前、でもなかったり、足りないと、言われてしまう、インフラみたいなマネージャーのお仕事。単純で、誰がやっても同じに見えて、機械が代替でき層とも思って。

 

でも、不完全なりに、どう改善するか工夫する過程に意味があると思います。マネージャーの姿勢が言葉では言えないものとしてプレーヤーに伝わって、そういう細かい雰囲気とか、上を目指すかの姿勢のようなものによってチームの雰囲気が形成されていきます。

だから、私はそこの曖昧で無限大の可能性を広げることに貢献したいと思っています。

相手の立場に立った行動をしてみて、わたしがいることで少しでも練習が充実してた、と思ってくれる人がいたらうれしい、自分が出せる細かい雰囲気、練習のスムーズさが、いずれ結果に結びついていっていたらいいなと、信じています。

これが、ずっと悩んできた自分だからできること、の現時点での答えにしています。

 

マネージャーというポジションは、今まで気づかなかった視点を与えてくれました。

一つの試合でも、プレーヤーの個人練や合宿の山盛りごはんを乗り越えて、試合で活躍する姿。プレーヤー同士のやりとり。

そんなプレーヤーを試合に応援に来てくださったり、近くで、あるいは遠くから、活躍とけがのないことを祈って支えてきてくだった保護者の方々。

貴重な休日、駆けつけて、後輩指導に付き合ってくださるOBの皆さん。

ビジネスと部への思いを両立してくださる一流のコーチ陣。

手厚いケアをしてくださってきたトレーナー方々。

一つの結果がこんなにいろんな方々の思いと、努力に、支えられていると知ることができました。その分直接結果に携われないもどかしさ、負けた時さらに何ができたのか、不明確な分悔しさもより大きい。

あと二戦。今までの悔しさを忘れるような感動を、堀内組のみんなと味わいたいです。

 

最後になりますがやりたいことだらけの私を育ててくれたラグビー部には感謝でいっぱいです。悩みぬいても、ラグビー部をやめる選択肢は不思議なほどなかったのはみなさんのおかげです。

相談したら忙しくてもいつでも寄り添ってくれ、元気がなさそうと連絡をくれたり、気晴らしに遊びに誘ってくださったプレーヤー、マネージャーの先輩方。私はあまりに幸せな後輩です。

どこまでもまっすぐで、私を的確なアドバイスで支えてくれて、外面内面ともにかわいい後輩マネージャー。私が不在の間にあまりに頼もしく成長していたみんなは、ほめるところしかありません。感謝と感激でいっぱいです。

爽やかで礼儀正しく、それでいてプレー、日常生活ともに頼もしい後輩プレーヤ来年からみんなはさらに人気者になるね。将来が楽しみです。

筋トレから留学まで、やりたいことを好きにやらせ、見守ってくれる同期プレーヤー。みんなの成長に、一番びっくりして、感動しました。同期会、あと一回くらいあってもいいよね。

何も言わずにそばにいてくれて、程よい緩さとしっかりさを兼ね備えた同期マネ。三人のバランスが絶妙に心地よくて、二人と同じ大だったことをすごく幸運に、誇らしく思っています。

 

次はマネ長かなちゃんに渡します。わが代のボスと言われる彼女ですが、わたしとはるを寛大に送り出してくれた強さと、実は誰よりも繊細なをもっていると思ってます。程よい葛飾節でよろしくね。

 


  

「凡事徹底」のその先に

投稿日時:2019/10/25(金) 21:48

 

同期の無感情代表、と見せかけて本当は温かい心を持つ荻原からバトンを受け取りました、

マネージャーの末吉遥香です。

 

 

毎年生き延びるだけで精一杯な夏を今年も何とか越し、安堵していたらすでに対抗戦は折り返し、

想い出の詰まったグラウンドに来られるのも数えられるほどになってしまいました。
 

グラウンドで過ごした日々を思い返してみると、みんなの笑顔ばっかりが浮かんできてしまって、書きたかったことも全然書けそうにありません。

 

 

マネージャーとしての日々を思い返してみると、探しても探しても理想的なマネージャーでいられた自分の姿なんて全然どこにも見つからず、

本当にやり直したい瞬間だらけで。

それでも、自分なりにたくさん考えて、悩んで、心が動いた4年間(3年間だろって?)でした。

 

 

 

 

1年生の時、「4年間をかけて何かをやり通したい」と選んだラグビー部。

大学に入るまでまともに部活どころか野外で活動なんてしたこともなく、世間知らずで、ひたすらに弱く、

体育会のマネージャーなんて、見たことも聞いたこともありませんでした。

 

当時の私にとってはあまりに異質で、だからこそ輝いて見えて、

訳も分からず飛び込んだラグビー部で迎えた1年生の対抗戦シーズン。

試合に勝って本気で喜んでいる先輩たちをよそに私はどこか冷静で、みんなを遠くから眺めていました。

 

本気で喜べないのは本気で部活に賭けていなかったからなのに、

「マネージャーだから」って言い訳して、逃げていました。

 

 

 

そんな部活に、チームに対する思いは、4年間を通して、いつしか変わっていました。


 

トライはおろか、目の前の相手にタックルする術すら知らないマネージャーという奇妙なポジションを続けて来られたのは、

一つ一つの、決して派手ではない練習に日々愚直に取り組むプレーヤー、

立ち止まる素振りすら見せず、ずっと全力だった先輩マネージャー、

いつでも一生懸命に考えて動く頼もしい後輩マネージャー、

一緒にいる時も離れている時もずっとHOMEでいつづけてくれた同期マネージャー、

いつもラグビー部を支えてくださる松岡さん、

それからOBOG、監督コーチ陣、家族、友人、

ここには書ききれないほどひとえに周りの人たちのおかげです。


 

特に後輩マネージャーのみんなには、今年沢山の負担をかけてしまいました。

4年マネージャー三人のうち二人も留学帰りという、ちょっとおぼつかない今年のマネージャー組織を支えてくれてありがとう。

 

元気いっぱいで、純粋に部活を楽しんでいる一年生。二人がいる時の活気が大好きです。
 

去年はまだどこかあどけなかった2年生。1年ですっかり目つきも、顔つきも変わって、上級生が気がつかないようなことまで心を配ってくれて。2年生みんなの成長には、復帰して一番びっくりさせられました。
 

もう同期のような、安心感と安定感がある3年生。何でもかんでも頼りすぎてるのに、文句ひとつ言わずに頑張ってくれてありがとう。

 

 

 

それから、留学に行ってふわふわした気持ちのまま「4年生」の肩書きだけ付けて帰って来てしまった私の背筋を伸ばしてくれたのは同期のみんなです。

1年ぶりに会った同期が4年生として、日々考え抜いて、チームを引っ張っている姿を見て、誇らしいと同時に焦りました。


一見まとまりがないようでみんなが真っ直ぐで温かい、そんな同期を持てたことは財産です。

 

 

 

 

今ここに来て、マネージャーの境地は「凡事徹底」を体現することだと、ひしひしと感じます。

 

マネージャーとしての4年間を経て感じた「平凡を非凡に努める」ことの難しさ。

「誰でも出来る」と言われてしまうかもしれない水出し、ビデオ、テーピング、その他マネージャーの日々の仕事を、誰も真似できないくらいまでこだわること。

 

一人でそこまで到達するのは難しいかもしれないけれど、

みんなでなら出来る気がします。

最後の一戦まで、もう少し力を貸してください。

 

 

 

それでは、次はおぎと同じくコダ委員時代から連れ添ってきたまいに回します。

いつも通りのまいまいワールド全開でよろしくね。

集大成

投稿日時:2019/10/18(金) 12:06

1年時に初めての部日記を回した堺からバトンが返ってきました荻原です。

彼の最初の印象はなんかおデブちゃんいるなという感じで、ローズ&クラウンで座ってたときの後ろ姿は倉光と瓜二つだったのですが、今となってはもともとマネージャーより細かった足に加え、上半身もスリム化してしまったので、そのときの姿は想像もつきません。

僕が彼に部日記を回したときは、こっちが菅平合宿で疲れ切っていたのに対し、彼はアメリカへの短期留学で合宿からescapeしていたので、日本からアメリカに海を越えて渡したバトンが、3年越しに手渡しで返ってきた感じですかね。なんだか感慨深いです。





最後の部日記ということで、何か突飛なことを書きたいと思うのですが、しかし、いざ考えてみるとなかなか思いつかないものです。例年のように思いつくまで寝かせておいてもいいかと思ったのですが、今年はなぜか1週間以内に書けという念押しが凄く、今日書いている次第です。変に真面目な同期が多くて困っちゃいますね。1つ上や2つ上の先輩達を見習って欲しいです。最終戦前に駆け込みで書くという部の伝統(?)を継続した方が面白いと思うんですがね。まあ、自分が後ろに書く立場じゃないのでこんなことを言っているだけです。





というわけで、無難に4年間の振り返りをしたいと思います。



1年生。

高校時代に球技大会でやって楽しかった印象があり、入部したラグビー部ですが、1年目は正直楽しさよりも怖さの方が圧倒的に勝っていました。4年生には体のデカいFWの先輩がゴロゴロいて、ただでさえ初心者で始めて何も分からずやっていた自分には恐怖でしかなかったです。

ただ、まだその時には、今となっては大分少なくなったラグビー部以外の大学の友達と遊ぶことも多く、大学生活としてはそれなりに楽しめていて、そのおかげで部活も1年間乗り切れていたと思います。



2年生。

徐々にラグビーにも慣れ、本人に確認してないので本当かどうか分かりませんが、初心者の僕が普通にプレーしているのを見て、迷っていた寺澤が入部を決める最後の決め手になったと聞くくらいには、それなりにラグビーができるようになっていたと思います。Bチーム内での立ち位置も上がり、WTBとしてトライを取り切るのを期待されてやれていたと思うので、非常に楽しかったです。



3年生。

ここで大きな岐路を迎えたと思います。FWへの転向です。周りの戦力も考えると、FWの方がチャンスはあるのかなと思った中で、とりあえず、1-3月の2ヶ月間のお試しでFWに転向しました。初体験のセットプレーなど色々と刺激も多く、2ヶ月が経った後、レンタル移籍のはずが完全移籍オプションを行使され、というより自ら行使して、FWを続けることとなり、結局FWとして1年間を戦い抜きました。おかげで、対抗戦のメンバーにも入ることができ、今思えば、3年生が1番充実していて楽しかったなと思います。

正直FWに転向する前まで、自分が対抗戦に出ている姿はまるで想像できなかったので転向して良かったと思います。宮瀬さんはじめ、温かく迎え入れ、面倒を見て下さった1つ上のFWの先輩方には感謝しかありません。



ただ、喜怒哀楽に関して、BKのときにはなく、FWに行って取り戻したという堺の紹介の仕方は否定したいと思います。





別に今もないです。



4年生。

色々な意味で1番しんどい年になりました。ポジションに関して、一応まだBKに戻るのか、ということを言われたこともありましたが、昨年FWとして成長できたわけなので、当然のようにFWの最上級生として頑張ろうと決意を固めました。と、思ったのですが、チーム事情もあって今年は菅平合宿でWTBをやるなど、夏~対抗戦の初戦までFWとBKの共同保有になり、あれ、BKに戻るんかいなと思いましたが、結局今はFWに落ち着いています。中途半端にならないよう、FWとして最後までやり切りたいと思います。



対抗戦に関して、初戦が最後数分、2戦目は40点差くらいついてからの出場、と満足に出られておらず、満足に自分の力を発揮する場すらない中での3連敗とあって、正直現状に納得はいっていませんが、残りの試合で自分の4年間をぶつけられるように、4年間の集大成として、最後まで駆け抜けていきたいと思います。





次は、入部当初は夏場にサンバイザーまで被っていて、なんで屋外スポーツの体育会なんか入ったねんと思った末吉遥香にバトンを渡したいと思います。

まいちゃんと共にコダ祭委員で散々勧誘した側の僕が言うのもおかしいですが、ラグビー部向いてなかったのでは、と本気で思いました。それが今では、太陽の下でも平然と半袖で立つ、頼れる体育会マネージャーとなり、そんな彼女が最後どんな素晴らしい部日記を書いてくれるのか期待したいと思います。

W杯の余ってるチケット絶賛募集中です

投稿日時:2019/10/08(火) 15:02

浪人時代の予備校から一緒だった大谷くんからバトンを引き継ぎました堺です。当然東大に行ったものだと思い込んでいたので、入学式であった時はびっくりしたのを覚えてます。23年生きてきたうちの5年間一緒にいたと思うとすごいですよね。騒がしい僕ですが、来年からもよろしくね笑。



三日かけて書いた部日記の下書きが消え、絶賛大焦り中な訳ですが、毎年恒例の四年生の部日記を書いていきます。毎年楽しみにしていたこの日記をとうとう自分が書いていると思うと感慨深いものがあります。いつもグラウンドやお風呂で一緒に頭の悪い話をしていた先輩たちが、どうしてあんな密度の濃い文章が書けるのか不思議でした。自分も最上級生になったら自然と書けるのかな、とか思ってましたが、いざ書くとなるとやっぱり何を書いていいか分からないもので、過去の部日記を読み漁っています。皆んなと違うものを書こうと思っていましたが、自分の〆切を大幅に過ぎ同期からの圧がすごいので、例の如く自分の四年間を振り返りたいと思います。つらつらと長い文章になりますがご容赦下さい。



まずは一年生。一年の浪人生活を経て体重が10kg増量し両親にミシュランマンと呼ばれ、一年ぶりに会った高校同期に認識されなかった自分は、最早運動ができる体ではありませんでした。ましてや大学の体育会なんて耐えられる筈もない、なんて思っていた四月でしたが、中高六年間のラグビー部での生活で培った勢いで物事を決めてしまう性格は変わらず、五月には入部を決めました。



二、三年生は、今考えてみると楽しく、恵まれた二年間だったと思います。運動神経が悪くラグビーが下手だった自分なりに自分の上達のことだけを考えることができて、このために先輩や同期が力を貸してくれた二年生。大谷と二人でBチームの運営を任されて、最初は戸惑いながらも同期や後輩の力を借りながら、試合を通して少しずつ上手くなっていくのが実感できた三年生。当時は辛いと思った事も多かったけど、今ではそのありがたみも感じます。



そして四年生。これは過去の三年間に比べ圧倒的に考える事が多い時間であったと思います。下級生の時に自分が当たり前に享受してきた環境が、各代の四年生たちがそれぞれ必死にに作ってきたものであったと実感しました。でも今考えてみると、二月オフを丸々使った会議も、同期の想いを知るいい機会となりました。



そして迎える事になった対抗戦。ここまで三試合を終えて、残念ながら自分たちが二月の会議で思い描いた結果は得られていません。自分も四年生として試合に出てチームに貢献する事もできておらず、悔しさが残ります。残り四試合この悔しさを糧に、最後に、自分たちはやり切った、と胸を張って断言できるくらい突き抜けたいと思います。



一橋大学ラグビー部の一員として過ごすのも残り一ヶ月と少しだと思うとやっぱり悲しく、自分は人に恵まれたと改めて思います。週末や、時にお仕事のある平日にさえグラウンドに足を運び指導して下さったOB、監督・コーチ陣の方々。生意気だけどめっちゃ絡んできたり、思いつきの雑なだる絡みに優しく応えてくれる後輩たち。始発じゃなきゃ間に合わない程朝早かったり、めちゃくちゃ蒸し暑かったりする中でプレーヤーのサポートに徹してくれるマネージャー。怪我が多い自分を常に気にかけてくれて、今年生まれた息子さんの誕生日が僕と一日違いだった松岡さん。そして、こんな適当な自分を気にかけ時に喝を入れてくれて、多分家族を除いて人生の中で最も長い時間を一緒に過ごした同期たち。感謝してもしきれません。



これで僕の部日記を終わろうと思います。急いで書いた為お見苦しい文章になっていたらすみません。最後まで読んで頂きありがとうございました。



次は一年生の最初の部日記を僕に回し、FWにコンバートしてから喜怒哀楽を取り戻したギリシャ彫刻荻原君に回したいと思います。

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